133日目 ジョーカー2週目の為の、映画「ジョーカー」激ヤバ心理描写まとめ

映画「JOKER」が公開された。
恐ろしい映画だった。
「面白い」とか、「すごい」とか、
そういう感情ではなくて、
「恐ろしい」という言葉しか出てこなかった。
本当に、適当に「ヤバイ」程度の意味でこの言葉を使っているわけでなくて、
冗談抜きで「恐ろしかった」という他ない。

この映画について正確に語る言葉を、
まだ探し続けている。
「狂っている」という言葉で単純に片付ける事が出来ない。
「駄作」とか「傑作」という言葉は、
この映画にはふさわしくない。

まだ観ていないならば、観るといい。
お前はジョーカーを体験する。

私も近いうちにもう一度観に行くつもりだ。
さて、ここからはこの映画で表現されている内容について触れていくので、
未鑑賞の人間はさっさと帰ってほしい。
地獄を観ろ。

これから書くことは、
ジョーカーで表現されていた心理描写や人物の描き方についてだ。
まぁ簡単に言うと、
「恐ろしく繊細な心理描写、
俺でなきゃ見逃しちゃうね」
という、ハンターハンターで団長の手刀を見逃さなかった人の気持ちを、
共有したかったからだ。
特に印象に残ったシーンをピックアップしていきたい。
私の備忘録のようなものでもあるので、
ちょっと記述が適当だったりしても、
許して欲しい。

・最序盤の、アーサーが笑っているシーン
いきなりアーサーが笑っているシーンが始まる。
観客は、これが面白いシーンなのか分からない。
なぜアーサーが笑っているのか分からない。
観客との断絶が表現されている。
突然笑うアーサーへの、
一般人の感じる不気味さを、ここで観客も体験する。
笑いというのは主観であるという、
後半のセリフの伏線でもある。


・同僚から銃を渡される
地獄への道は善意で塗り固められている。
弱者が不条理へ立ち向かう唯一の武器。
しかしアーサーはそれを使うつもりはなかった。
アーサーは笑いで世界に立ち向かおうとしていた。


・コメディショーでの笑い
ナイトショーでコメディの勉強に行くアーサー。
彼は普通の人が笑う所で笑わず、
普通の人が笑わない所で笑う。
一般社会からの孤立と、困惑。
アーサーは一般人の笑いを理解できない。
一般人もアーサーの笑いを理解できない。
ここで早くもコメディアンとして成功するという事が、
絶望的に不可能であることが分かる。
それが表現されながらもなお、
アーサーがコメディアンとして成功する事を夢見て生きる様を
観客は見せられ続ける。
既に観客のライフポイントはゼロなんだが?


・アーサー、ボスに怒られる
ガキに看板奪われてボコボコにされた件で、
職場のボスに怒られるシーン。
ボスはアーサーの事情を聞かず、
一方的に処罰だけを言い渡す。
アーサーへの社会からの無関心が表現されている。


・アーサー、職場を後に
首にされたのでロッカーから荷物を回収するアーサー。
腹いせに「パンチカードを『打つ』」いうジョークを言って、
パンチカードを殴りつける。
同僚たちは笑わない。
コメディアンとしての矜持が崩壊し始めている。
階段を「下り」ながら職場を後にするアーサー。
ドアを開けると、外は光に満ちている。
階段を下りるという行為により、
最底辺の職場からのさらなる転落、
ドアの先の光は、
その転落の先にある栄光が暗示されている。


・母親の手紙の覗き見
母親が送り続けている手紙の真実を知る。
母親は、「こんなことが知れたら、世間はなんて言うか……」という。
アーサーは、「何て言うの?」と聞き返す。
母親は答えない。
このシーン、
これマジで強烈な時限爆弾で四肢爆散した。


・ウェイン宅の訪問
ブルースウェイン(のちのバットマン)との邂逅。
アーサーは自分がウェインの息子だと信じて訪問した。
つまり、
自分は目の前にいるブルースと、
同じ人間のはずである。
しかし、彼らは門を挟んで対極の立場にある。
かたや人殺しをした貧民。
かたや富裕層のエリート。
門は「ウェインの息子」という二人を断絶する、
権力、金の象徴

また、ここで守衛が登場し、
アーサーが自分の秘密を知っていると凄むのに対し、
「狂人のたわごとだ」と一蹴する。
これが「こんな事が知れたら、世間は何て言うか……」に対する回答。
時限爆弾の爆発により、私、無事死亡。
なんでこんな酷いことするの?


・「笑う病気カード」を警官に笑われる
持ち歩いている「笑うのは病気だから、ごめんね」というカードは、
本当は「病気のフリ」なのか?と問われるアーサー。
ぶっちゃけ観客も同じこと思ってた。
でもそれに対するアーサーからの怒りが返される。
観客へ罪悪感を植え付けることに無事成功。


・病院の自動ドアで無視されるアーサー
これは「社会から無視される、存在しない男」
として描かれているアーサーの表現。
機械にも存在を無視されるという表現、えぐ過ぎませんかねぇ?
実際のところは出口専用に入ろうとしていたから駄目だったらしい。


・ウェインとの対峙
トイレで自分の父と思っているトーマスウエインと対峙する前に、
コートのポケットに手を入れるシーンがある。
これ絶対ポケットに銃入ってるでしょ。
自分とは別の人種である絶対的富裕層に属する、
トーマスウェイン。
彼と対峙するには勇気が必要。
弱者である自分が不条理に対抗する術を、
アーサーは銃しか知らない。


・冷蔵庫に入るアーサー
社会からの逃げ場所を探すアーサー。
冷たすぎる社会よりも、
冷蔵庫の中の方がまだ温かい。
アーサーはそう感じている。


・警官から逃げるジョーカー(テレビ出演前)
ピエロのお面を被るジョーカー
これは群衆に成りすますことが出来るという表現。
どこにでもいる男。誰にでもなれる男。


・駅からの脱出
警官が駅に向かうが、
誰もジョーカーに気付かない。
ジョーカーは誰でもあって、
誰でもないという表現を補強している。
また、ここでお面(群衆の仮面)を捨てることにより、
群衆の味方では決してないという事と、
ジョーカー自身の自我の芽生えが暗示されている。


・テレビ出演でネタ帳を馬鹿にされる
もう辛すぎる。
ジョーカーにとって、
このネタ帳はジョーカーになる前に、
コメディアンになる為に書き溜めた、
いわば今までの彼の人生そのもの。
それを馬鹿にされ、笑われる事の残酷さよ。
もう酷い事しないで。

出演中、彼が書きつけたジョークの一節を彼は目にする。
邦訳では、
「この人生以上に『硬貨』な死を」
と書かれている。
英語では、
I hope my death will make more cents than my life.
となっており、
cents(セント、一セント二セントのお金の単位)」と、
sensemake senseで理解できる、道理にかなっているという意味の慣用句)」
を掛けたジョーク。
貧困にあえぐ自分の境遇と、
他者と理解しあえない自分の孤独を表現している。

この詩を数秒間じっと見つめたあと、
彼はあらかじめ予行していた自殺を止めて、
さらなる凶行にはしる。
ここで起こった精神の中での爆発的化学反応は、
言葉に出来ない。
もう、ただただ推し量るしかない。


・ダンス
アーサーの内面を表現している。
ただのダンスじゃなくて、
恐ろしいほどの緊張感があって、
思わず息を呑んでしまった。
物凄い切れ味のダンスだった。


もう一度ジョーカーを観に行くときには、
上記のポイントに気を付けながら観ようね。
「恐ろしく繊細な心理描写、俺でなきゃ見逃しちゃうね」
という、ハンターハンターで団長の手刀を見逃さなかった人の気持ちを、

君も味わえる。

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